ヒーリングサロン・レイキ・スクール
グリーン・ぴあ
2004年1月のメッセージ
邪悪なものにより心乱れる
これよりしばらくの間、
邪悪なものにより心乱れること多くあり、
そなた達の心、
神に向かいしとき、邪悪なものより守られるであろう。
神への祈り忘れてはならぬ。
心、神に向かいしとき邪悪なものより己の心守ることが出来る。
こののち、
地上には邪悪なものを喜びてむかえる心多々あるであろう。
だが負けてはならぬのじゃ。
己の心が負けた時に起こるは地上の地獄であるぞ。
すべてこの世においてなされるもの、
現れる姿、心からなせるものなりと覚えるが良いぞ。
この地上に姿現れる虚像と実像との間、
悪と正義の間、
滅亡と繁栄、
破壊と建立、
すべて人間どもの心にあるものなり、
すべて心の波動により伝わるものなり、
人を愛するが良い、
慈しむが良い。
忘れてならぬものは、
何がためにこの世に存在する己の使命であるのか?
愛と憎しみは裏と表である。
今、裏の世界が広がりつつある、
だが表を出さねばならぬ、
正しき心出さねばならぬ、
憎しみを覆い隠すほどの愛を持たねばならぬ。
今そなた達、
人の上に立ちて導く者の心根、
正しく持つことができぬのであれば
地上の人々の心は大きく曲がり、
悪への道を歩む事になるであろう。
そなた達大きな使命を担いてこの地上に降り立った以上
なさねばならぬ己の使命に忠実に働かねばならぬのじゃ。
今地上に起りし幾多の苦難、
そなた達の力において平和へと導く事は至難の業であろう。
だが、小さな一粒の種から大きな実りとなるように、
そなた達の心曲げてはならぬ、
正しき種を蒔かねばならぬのじゃ。
そなた達の心が曲がりしとき、
多くの心がそなた達によりて曲がって行くであろう。
苦しみと悲しみと幾多の困難を抱えながらこののち後、
そなた達が歩む道が平坦なものではない事を
よく心得ておるつもりであるが、
その上でなおそなた達が正しき心を持ちて
人々を導いてほしいと願うのみである。
正しき心を持ちて、
愛を持ちて大きな波動の輪を広げればよいのじゃ。
一人でも多くの者達を
正しき波動において大きな輪の中に引き込むのじゃ。
悪に溺れ、
悪を受け入れ、
悪に歓喜するような人間どもの心が、
この地上を地獄と化す。
だが人間どもの心一つでこの地上を楽園にする事も出来るのじゃ。
この地上にそなた達の肉体を得たとき、
それは既にその歩む道は決められているのである。
その事に如何に気付くかがそなた達の魂の浄化の道であるのである。
心ある者が集いよるであろうか?
見つけるのである!
探すのである!
心の通じ合う同士を探すのじゃ!
愛あるものを求めるのじゃ!
2001年9 月 17日 こんなメッセージを頂きました。
あれから2年、手をこまねいているうちに、
今世の中は急速に動き、変化し、
今まで隠されて見過ごされていたものが表に引き出され、
白日のもとに晒されています。
政治の世界も、医療の世界も、教師も、親も子も・・・
何を信じたらよいのか?
そんな時代に確実に突き進んでしまっているようです。
今私たち一人一人に何が出来るのか?
真剣に考える時ではないでしょうか。
2004年2月のメッセージ
神仏は他者にあらず
つい先日の事です。
50代の女性がお見えになりました。
数年前ご主人を無くされ、
その寂しさ・悲しさ・苦しさに耐え切れず、
ご自分をコントロールする事が出来なくておいでになりました。
心の傷が癒えるまでの日々は人それぞれですから、
立ち直るまでにはもう少し年月が掛かるのかもしれません。
その方の言葉を借りれば
「この世に神様なんていない。
私は見たことないもの、
見えないものは絶対いないと思う。
いたらあんなに良いお父さんがあんなに早く
死んじゃうなんて事あるわけないでしょ。
世の中には悪い事ばかりしていても
幸せに長生きしている人いっぱいいるのに・・・。」
との事でした。
そう言われれば返す言葉が見つかりません。
今の世の中、理不尽な事多すぎますからね。
確かに、神様を見る事も触る事も出来ないかもしれません。
でも、私は神様はいると信じています。
神仏は、私たちそれぞれの人の心の中にいるのではないかな?
と思うのです。
私はその時、数ヶ月前ある女性にいただいた
メッセージを思い出しました。
神仏は他者にあらず己の心にあり
と。
神、仏、
すなわちそれは己の心の中にあると思うが良い。
己の心正しき時、心穏やかなり、
己の心阿修羅の時いかなる神仏に手を合わせようとも、
そなた救われる事はないであろう。
己の心清めよ、
己の心正せよ、
そして人に優しく親切に日々明るく過ごすが良い。
さすれば、おのずとそなたの幸せ、
そなた自身が感じる時があるであろう。
その時、己の中の神仏を
そなた自身が深く深く感じる事ができるであろう・・・。
という事でした。
私たちは自分自身の心を磨き、
神仏を心で感じ、感謝の日々を送りたいものですね。
私たち人間は勝手なもので、
神様仏様に向かい手を合わせるときは勝手なお願い事や、
助けてくださいとすがる時と言う人が
多いのではないでしょうか?
でも神様も仏様も何も努力しない人、
苦しい時だけ助けを求める人を手放しで
救ってくれるものではないと思うのです。
一生懸命努力している人、
ものごと全てに感謝の気持のもてる人に
神仏は後押ししてくださるのではないでしょうか?
人の命もその人が持って産まれた寿命を
まっとうしたのであれば、
致し方の無い事だと思います。
人間は必ず旅立ちの日を迎えます。
「生き様は死に様」といわれるように、
今いかに生きるかによっていかに
死ねるかだと思うのです。
その時自分の人生を納得して旅立てるなら、
幸せな人生だと言えるのではないでしょうか?
私もこの世に未練や執着を残さず、
旅立つ事が出来るよう生きていたいと思うのですが・・・。
2004年4月のメッセージ
他人のために命惜しまず働きて
先日30代の女性がおいでになりました。
小さなお子様を抱えて心身共に
ご苦労しているご様子 が見えました。
外見はとてもお元気そうで明るい方なのですが、
どことなく重い荷物を背負っている
という感じがするのです。
※「貴女は自分が好んでご苦労を
背負い込んでしまっているようですね」
◎「私は何か困っている人がいると
自分の力以上の事だと思っても
何とかしてあげなくては、と 思うんですよ」
※「見て見ぬ振りをする事も大切ですよ、
他人に振り回されて自分が苦しんでは
何にもならない ですよ」
なんてお話したんです。
その方が次回お見えになった時、
他人(ひと )のため 命おしまず働きて
おのずと開く 幸福(しあわせ )の道
こんなメッセージを頂き己の愚かさに
気付かされました。
他人様のためと思ってする事は
全て自分のためであり、
自分のためと思って努力した事が
気がつくと他人様のお役に
立っているんだと言う事を
今までに何度となく体験している私自身が
反対のこと、
他人様の苦しみを見て見ぬ振りを
するようにご指導するなんてなんて
愚かな事をし たものだと反省させられたのでした。
昔から
《情けは他人の為ならず》
といわれるように、
他人様のお役に立つようなことをしていると、
いつの日かめぐりめぐって
他人様に助けられる事になるものなのですよね。
でも他人様に助けていただくよりも、
助けて差し上げる事の出来る幸せを
感じる事が出来たら、
なによりも生きている喜びを
感じる事なのかもしれません。